どうしても知っていただきたい事

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まだ、準備中なのですが、とりあえずfacebookに載せた4つの記事を掲載します。その次にずいぶん前に書いたQ&Aを掲載します。時間を得て、きっちり整備するつもりです。とりあえず熟読いただければ大変ありがたいと思います。

【S記事・・・その1・・・今日から始めるにあたって】

私は、12年前から凄まじい破折を受けており、生き地獄の毎日です。
12年前は、近大教授であり、家族に恵まれ、200冊前後の著者として、非常に幸福でした。異変発生後、近大を辞職して、海外に逃亡せざるをえなくなり、職業を始め人生のほとんどを失い、人生は粉々になりました。発表しない方がいいと思っていたのですが、ひどいデマを流され、また多くの誤解が積み重なっていますので、今後適宜、記事にしたいと考えるに至りました。
この記事の場合は、1行目のように表現しますので読みたくない方はスルーして下さい。コメントはご遠慮下さい。破折者の攻撃コメントがあり得るからです。こういう記事の掲載が不愉快なら、削除して下さい。私は、FBは、削除するのもされるのも全く自由な、本人の掲示板だと確信しています。この記事は連載であり、その1、その2、としていきます。皆さまの社会観や人生観に大きな情報と成り得えますので、よろしかったら読み続けて下さい。元来嘘が大嫌いですが、今後の記事も絶対に事実しか書きません。その点だけは信頼して下さい。Sは巨大な宗教組織であり、この地球のほとんどを支配したようです。「まさか、そんな奇妙な攻撃はしない」「そこまで酷いことをするとは考えられない」というような奇怪な攻撃がされてきました。私が、攻撃内容を説明しても、常識的にはありえないことが多いので「尾崎の妄想ではないか」「考えすぎではないか」と思われるのです。しかし、地球を支配するに至ったプロセルでは、極めて強烈かつ高度かつ奇怪な作戦が展開されたわけです。それでは、次回のその2、を読んでいただければ幸いです。

 

【S記事・・・その2・・・家族・・・コメントはご遠慮下さい。】
大切な家族について記す。25歳の時、結婚した相手と20年間暮らしたが、子どもがいないまま死別した。その後、2番目の妻と結婚し、人生初の子どもが生まれた。現在の私の人生の9割はこの子のためにある。
私と元妻は大恋愛で結ばれたが、12年前に破折が始まったとき、二人で必死に娘を守ろうとした。私は鬱になり、妻は一人で幼稚園の送迎などをこなしたが、娘に悲惨な破折攻撃があり、バセドウ氏病と誤診されるぐらい頻脈になった。娘は退園し、私たちは娘を守るためオーストラリア行きを決意した。近大を辞職した。夢にまで見た正教授の地位を捨てた。
オーストラリア到着後、数か月経ち、私たち夫婦は、この破折が例外的に一生続くことを知らされて、二人とも死を決意したが果たせなかった。Sは、元妻が「尾崎哲夫と一緒である限り、この地獄から逃れられない」と思うように極めて巧妙に操作し、元妻は私と娘から去っていった。やむを得ないことと考える。その後、入院中を除いて7年間、私は命掛けで父子家庭を営んだ。次のことを確認したい。
①元妻が去る前に、二人は半狂乱になって揉めることもあった、しかし私たちが離れたのは、全てSの破折のせいである。これがなければ今でも仲の良い3人家族であった。私にも妻にも、毛頭、責任はない。
②私は、入院中を除いて、7年間、命がけで父子家庭を営んだが、凄まじい破折攻撃の中で、オーストラリア2か所、アメリカ1か所、そして宮崎を逃げ回りながら、娘を守り抜いたが、誰にもできないことをしたつもりである。
③元妻が去るとき、オーストラリアの大学院進学を勧め、500万を即金で渡し、その後も合計900万以上援助した。神様でもできない行為をしたつもりである。
④以上は、厳正な事実であり、私の人生の骨格である。以上を全面的に受け入れていただけない人は、削除されたし。最低限の事情を認めていただけない人と交際しても無意味である。今後もフェイスブックで繋がる方は、私の人生の全てであるこの記事を心から信じて下さる方だけにしていただきたい。

 

【S記事・・・その3・・・友人関係破壊・・・コメントはご遠慮下さい。】
Sの基本戦略の1つは、とにかく人が私を嫌うように仕向けることである。あるいは、人と私が喧嘩するように仕向けることである。ゆっくりと人格を破壊して、その間いじめられ役の晒し者にして、人々を慰めるという役割と押し付けるのである。私に関するデマや誇張や嘘を流すのも非常に多いが、次のパターンが著しい。
私とAさんが付き合い始めたら、Aさんに「尾崎は、陰ではAさんの悪口を言っているよ」と囁くのである。そうやって私とAさんの関係を破壊するのである。私は、2008年に日本に帰国した直後、しばらく宮崎県の串間市の市木というところに住んでみた。自動販売機のあるところまで車で10分以上かかる人里離れた場所である。たまに車が通る街道があって、街道の向かいに少し耳が遠い老婦人がいた。家から5分くらいのところなので、時々お喋りをする仲になった。たまに果物などを持って行って喜ばれた。1日中道路ぎわで座っているのだが、私と20分ほど言葉を交わすのを楽しみにして下さったようだ。ところが、ある時、私が近づくと道路の真ん中まで出て耳が全く聞こえないという派手なジェスチャーを繰り返した。十数回話しお喋りをして、もちろんそんなジェスチャーをしたことはなかった。そして私との会話を拒否した。Sが「尾崎は親切なふりをしているが耳が遠いと嘲笑っているよ」と言ったに違いない。この12年間いつもこのパターンなのである。私はもちろん彼女の耳が遠いことは苦にもならなかったし、彼女のことを話題にする相手など、まだいなかった。とにかく周りに人がほとんど住んでいないのだから。私が悪口を言っているという話をねつ造して、私と相手との関係を切り裂くのである。
・・・
ある法律トラブルでB弁護士に依頼した。人権派弁護士で友人である。高校時代の友人とお喋りしていて、彼が「良い弁護士雇ったのか」と聞くから「Bという人だよ」と答えたら、その友人が「在日の人か」と聞いてきた。名前から判断したのかもしれないが、私は興味もなく「さあ」と答えた。しばらくして、B弁護士と会ったとき、いきなり「私は在日ではない」と唐突に言ってきた。誰も話題にしていないのにである。また、私たちは人権派で、そういうことを気にするはずもなかった。私は、あっ!と気が付いた。SがB弁護士に「尾崎はあなたのことを在日だと言いふらしているよ」と耳打ちしたのである。そうやって私とB弁護士の関係を切り裂こうとたくらんだのである。私は、その次にB弁護士と会ったとき、上記の趣旨を伝えたら、うつむきながら納得していた。
・・・

なお、Sは物凄いITの力を駆使して私が起きているときは、ほとんどの会話を盗聴している。

 

【S記事・・・その4・・・現在の私・・・コメントはご遠慮下さい。】
以前の私が80点だとしたら、正直、厳密に言って35点くらいになった。
人格破壊攻撃なので、人間力がどんどん落ちた。元気なふりをしないと、人と付き合えなくなるので、堪えて演じているし、楽しい宴会の中で従来の自分が出て、70点くらいに瞬間的に戻っていることがある。
人相も劇的に変わった。ストレスでガンガン太った。70kg前後から86kgまでいって現在80kg。この12年、ほとんど仕事と勉強ができなくなった。
以前は、とにかく仕事が好きで好きで、また火の玉人間で、朝4時過ぎになると、もう眠っていられなくて「日本の大学教授で早くから勉強するぞ」という気持ちが布団の中でわいて、耳元で進軍ラッパが鳴っている感じで、元妻から「果てしなく働いている」と言われた。
今では、いぎたなく寝ていることが多い。
・・・
破折されると、12年のトラウマが物凄いので、ぐっと差し込んで、5点ぐらいに落ち込む。
また、人格が変わってしまう。
人格が変わると、まずい言動をしてしまう。
・・・
私に関する噂にはいくつかある。
①Sがねつ造したもの
②Sが一定の事実を歪曲もしくは誇張したもの
③私が5点の時にやってしまったまずい行為の噂
④私が35点の時に接触した人々が「普通の人だ」と言ってくれた、悪くない噂
・・・
私は最高の両親と親類に恵まれ、幸福のうちに生きてきたから、そんな酷い人間になれるはずがなく、仕事面では記録的な大成功をおさめた。
今後付き合って下さる方は、決して破折などせず、普通の人間として接触して下されば、35点以上の尾崎になって、何の問題も感じないと思う。
追伸
破折が始まって2~3年経って、65点くらいになったのだろう。元妻が「以前のあなたなら、人と話して1時間もすれば、知的に優れていると相手に感銘を与えることができたのに、今では、普通の人になった」と泣いたことがあった。

【S記事・・・その5・・・いじめられ役=ターゲット・・・コメントはご遠慮下さい。】

古代ギリシャから、インド、江戸幕府まで、「いじめられ役」が必要とされ、存在してきた。
圧政に苦しむ人々が、自分より大変な目に会ってる集団を見て、心慰められたり、自分もいじめに参加してうっぷんを
晴らすシステムである。
Sは、皇太子夫妻を始め、500人ほどのエリートを選出し、いじめられ役に選んだ。
私はエリートでもないのに選ばれてしまった。
以下の理由が考えられる。
①子供がいて子煩悩で子供を攻撃されると逃げきれない立場。
②エリートでもないのに著書の数が多く派手な人間に見え、劣等感の強い人の嫉妬をかいやすい。
③心身ともに頑健だが神経質なところもありターゲットとして絶好
④社会主義学生運動の経験があり、Sのメンバーの反感をかうのに都合がいい

【S記事・・・その6・・今日は新しい記事を書く気になれないので過去に書いたQ&Aの引用で済ませます。Q&Aという過去の総括文書全体はホームページの、「どうしても知っていただきたいこと」の末尾にあります。・・・コメントはご遠慮下さい。】

五年前からあらゆる人間関係は人工的になりました。現在はシステムによって人間関係も完全にコントロールされています。特殊ターゲットはその中でほぼ24時間盗聴・盗撮をされ、檻の中の小鳥です。24時間プライバシーがないことの恐ろしさは、経験した者でないとわかりません。
周りの人々は、私に関する虚実取り混ぜた情報を吹き込まれ、命令通りに動きます。例えば、「近づいていってハラスをしろ」「友達になったふりをして情報をとり、動きを監視しろ」「普段徹底的に虐めてるから、少しサポートしてやれ」「尾崎を誘導しろ」。
例えば、私にあることをさせたいとしたら、私の周りの友人を使って巧みにその方向に誘導します。私にあることをさせたくないとしたらその友人たちに「そんなことはするな」と説得させます。私がある地域にしばらく滞在すると、必ずその場所で友人としてふるまいつつ私を誘導し、監視し、ヘルプするサポーターが登場します。私はそのサポーターたちを真の友人たちと思うのですが、突然ぴしゃっと去ったり、豹変したりします。その場所を離れると、連絡が断たれ、人工的な友人関係だということを思い知らされます。私は友人をとても大切にするタイプで、しかも非常に社交的でかつ様々な仕事をしていましたので、多くの友人に恵まれていました。そのうちのほとんどの人々は、私が特殊ターゲットになって以来、去っていきました。これほど悲しいことはありません。
Qそのほか人間関係について感じることは?
周囲の人は、私が特殊ターゲットなので、気分転換のために私を責めるようになります。私一人でサンドバッグのように攻撃されっぱなしですので、私はどうしても縮んできます。おどおどすることもあります。すると周囲の人は勘違いして私を軽く見るようになります。虐めて喜ぶ人が出てきます。なめた態度を取る人も出てきます。ハラスのついでにお金を取ろうとする人も出てきます。定価より高い値段で売りつけたり、お釣をわたさなかったり、悪質なことを正当化する人が出てきます。やっていることは泥棒と変わりありません。

[S記事。。。その7.。。なぜ選ばれたか。。。コメント無用]

「永遠破折対象に選ばれたのにはあなた側理由があるのでは」と言われたことがある。全くの誤解だし、Sの作戦に乗るだけである。Sは、一部の人が私に同情を始めるのを何としても防ぐため、尾崎責任論をねつ造する。もし私に責任があるのなら、娘が悲惨な目に会ってきたのはなぜか、皇太子夫妻にも責任があるのか、その他多くの被害者に何の責任があるというのか。世の中にはひどいことがいるが、彼らは私のような立場にならない。なんとか非人間的な破折を合理化するためのSの戦略なのである。

【S記事・・・その8・・Sへの手紙・・コメントはご遠慮ください】
以下は、1年弱前にS本部に書いた手紙です。Sは、私がSに反対する活動家だった、という風に吹聴していますが、全く逆です。これもSの大嘘の一つです。とにかく、S会員を始め、周りが私を憎むように仕向けるのです。実は、私はSを度々かばっていました。感謝されてもこのような立場に突き落とされる理由はありません。恩を仇で返されています。
・・・
2015年10月4日
S本部御中 S会長御中
前略
突然不躾な手紙を差し上げ、申し訳ありません。私は尾崎哲夫、宮崎在住の62歳です。私についてはホームページwww.zaki.toをご参照ください。11年前から物凄いハシャクを受け、まさに生き地獄さながらの生活を送っています。私の人生のすべて粉々になりました。この状況は、失礼ながら、貴会が世界を支配する中での一環だと思いますので、心からのお願いを申し上げます。
私の父尾崎弘の兄嫁は、大阪の河内長野周辺で抜群の貴会の幹部でした。兄嫁の夫すなわち叔父は尾崎×で、大正3年くらいの生まれでしょうか。貴会の最高幹部の兄嫁は、××というお名前だったと思います。二人の間に生まれた3人の子の長男は尾崎△さん、3番目の女性は公明党の国会議員の方に嫁がれたようです。私が10歳の頃、祖父母が相次いで他界しましたが、葬式をめぐって兄嫁一家と残り、5人兄弟で大きなトラブルになりました。その中で私の父だけが中立的な態度をとり、兄嫁たちに感謝され続けましたが、そのことは尾崎△さんがご存知です。
私自身が、物事を客観的に観るのを信条としていて、貴会への的外れな批判に対して、貴会を援助するような発言を時々していました。このことは、川西市在住の貴会会員Mさんがうっすらと記憶されているはずです。
僭越ながら、私の知る限り、貴会がご縁を大切にする組織で、上記のような事情を調べていただければ、私に対するハシャクの在り方も変わってくるのではないかと思った次第です。
私へのハシャク継続は、社会をコントロールする上で、江戸時代の差別六段階の最下位のような集団が必要で、それに選ばれていると理解しています。ただ、私は、貴会に対してプラスになることはほんの少ししても、マイナスになることは一切していません。ハシャクの被害は想像を超えたもので、殺していただけるのならそうしていただきたいと思います。自殺すればよいのですが、どうもできません。
以下に最後のお願いを記します。
① 私の人生改善の糸口として、就職することをお許しください。
② 私は難治性緑内障と右耳の難聴と糖尿病を抱えており、治療機関への接近と散歩などの健康のための活動は、滞りなくさせてください。
③ なお、この手紙は尾崎△様にも送らせていただきます。
④ 末筆ながら、貴会のますますのご発展を祈ります。
草々
尾崎哲夫

【S記事・・・その9・・・破折の数々・・・コメントはご遠慮下さい。】

高校時代の友人にAがいる。極めて真面目な男で3人の子供を育ててきた。2番目の女の子が高1になった時、凄まじい破折が始まった。学校と、部活と、習い事、の三か所で、むごいいじめが同時に展開されたのである。その子は、両親には言えず、三か所で耐え、無呼吸症になって倒れた。今から15年ぐらい前のことである。それ以来、心の病になり、高校を中退し、学校に近づけなくなり、たまにバイトを数週間成功させる以外、働くこともできず、ほぼ家に閉じこもっている。明らかに破折である。破折が行き過ぎて、この子の人生をつぶし、同時にこの一家の幸福をボロボロにした。
私にも破折が始まり、オーストラリアに行っている時、私はこの友人に「オーストラリアで預かろうか。自然の中で回復するかもしれない」と提案した。彼は乗り気だった。ところがその後、彼が、娘を私のところに送れない作戦が展開された。娘さんが回復するのを恐れて、妨害したのである。私のようなターゲットでサンドバックのような打たれ役も必要だし、破折の犠牲者としてこの娘さんのような晒し者も必要なのである。世の中の温かなつながりを分断し、恐怖支配によって、コントロールするのである。人々と世の中は劣化していく。

【S記事・・・その10・・・世界支配の歴史・・・コメントはご遠慮下さい。】
アメリカとオーストラリアに住んだが、両国には、中国系、アフリカ系、ポーランド系、東ドイツ系など様々な人種が住んでいた。旧東ドイツ、ポーランド、ハンガリーなどの東欧の人と、12~13人知人になった。ほぼ全員破折をしなかった。一人のポーランド系男性は、「自分の国は、過去70年ぐらいで、ナチスドイツの支配、ソ連の支配、の下にあったが、また別の支配だよね」と案にSのことをほのめかした。別の東ドイツ系男性は「大変だろうけど、また終わるから」とささやいた。オーストラリアのタスマニアで、小学校の用務員をしている東ドイツから来た男性がいた。いつもドイツの国旗の帽子をかぶっていた。表面はそっけないが、知らないうちに私の車の後ろにある娘のサッカーボールに空気を入れてくれたり、わからないように親切にしてくれた。私がタスマニアを去るとわかったある日、学校に近づいていくと、子供たち数人が彼を取り囲んで、彼のとても大きなカラー版ドイツ図鑑を見ていた。やがて学校が始まって私と彼の二人になると、彼は私にその高価な図鑑をくれた。彼は私がひどい破折にあっていることを知っていて普段は素知らぬ顔をしているが、心の中で強い同情をもっていてくれて別れ際に彼の家宝をくれたのである。
現在のSの支配は、共産国の暗黒の支配から多くを学んでいる。インドのカースト制や江戸時代の過酷な農民支配からも学んでいる。アメリカの心理学や分離知識や科学技術を吸収している。歴史の凄まじい訓練を受けている東欧の人たちは、支配グループがナチ→ソ連→Sと変遷したに過ぎないことを冷めた目で見ている。
恐怖支配や洗脳の下にあっても、しっかり生きている人もいる。一部、コンプレックスの強い人や敗北者が自分のストレス解消のために、人を苛め抜いて喜んでいるだけである。水が高いところから低いところに流れるように、歴史は合理的な方向を目指すだろう。

【S記事・・・その11・・・ウソだらけ・・・コメントはご遠慮下さい。】
Sの特徴はうそとデマで私を貶めるパターンである。とにかく嘘だらけである。
アメリカ在住の時、タクシー運転手ポールが本当にいきなり「お前は両親の財産を兄と争っただろう」と言ってきた。そもそもポールが知るはずもないことである。私は「私が破折でボロボロの時、兄は財産を隠匿してかすめ取ろうとしたので、裁判になった」と事実を答えた。ポールは「お兄さんにたくさん与えるのは両親の意志だったではないか」と日本から聞いたようなことを言ってさらに私を驚かせた。事実は、私の両親は強く等分を望んだ。私が破折でボロボロになっていると兄のみにならず、すきを狙って悪事を働く人がいる。Sがそそのかすためでもある。
私を待ち伏せて携帯を示して破折するのが一番多い形だが「何をしているのか」と聞くと、「ただ携帯電話をしている」と答えるが、これももちろん嘘である。これが一般化しているからとぼけ嘘も一般化して普通のことのようになっているが、ストーカー行為をして欺いて、嘘をついているのである。
TOEICという英語試験が、日本で始まったばかりの時、この試験問題は公表されなかった。試験終了後に回収するので、受験者も試験問題を持ち帰ることができなかった。ある出版社からこの試験の対策本を書けという依頼があった。と言っても試験問題がないのだから対策版の書きようがない。それで、私自身が受験し、必死で受験番号の書いてある葉書に試験問題のポイントを書き写しつつ、頭の中で丸暗記もした。一応試験会場だから、試験にも答えた。もちろん実力の7割程度しか出ないが、それでも730点ぐらいだった。ところがSは、「尾崎は英語の著者なのにTOEICは730点だ」と言いふらした。これはダメージが大きかった。
宮崎のN証券の新入社員が、私がずいぶん助けたにも関わらずひどい破折を続けるので、私が強く抗議しトラブルになった。ところがSは「尾崎は推薦された株が下がったので激怒した」と言いふらした。私は、経済分析もそれなりにしている人間である。株が下がって怒るようなアンポンタンなはずがない。本当にばかばかしいが、こういう話を信じる人がいる。

【S記事・・・その12・・・】

携帯ハシャクなどをする人の分類。

人を傷つけて、幸福になれると思っている人

人を傷つけて、自分の気分転換に使う人

人を傷つけて、Sへの点数稼ぎにする人、命令に従ったという点数稼ぎ

命令されれば深く考えず、人を傷つけるという人

いやだけれど命令されれば、人を傷つけるという人

できるだけ断る努力をしているが、強く言われれば命令に従う人

車のタイヤをパンクされたり、大きな不利益を被るなら仕方なく命令に従う人

車のタイヤをパンクされても命令に従わないが、自分や家族が危害をこうむる場合にはやむなくする人

・・・

以上の分類は、私が12年間サンドバックのように傷つけられた経験上の推測に過ぎない。ただ、コンプレックスの強い人や自分に自信のない人がすすんでハシャクに参加するということは絶対に言えると思う。①~④までの人は、人間をやめている

【S記事 特別版】

・・・・・・・極めて重要→どうかお読み下さい・・・・・・

この記事はとりわけ重要なので、できたら読んでいただきたいと思います。
私に凄まじいハシャクを続けるSは、とにかく人々が私を嫌うようにすることに全力をあげます。私への忌まわしい悪口を並べると同時に、私の長所を無きものにするよう陥れます。私は、Amazonで尾崎哲夫を入れていただくと分かるよう、200冊以上の著書を書きました。Amazonでは、改訂版もカウントするので、500くらいになっているはずです。
誰しも長所を持つものですが、私は、頭の中で数冊の本を要約しつつ記憶し、それを推敲せずに分かりやすく文章化する能力があります。ですから、例えば刑法の一定の知識を持っていて、その上で1番信頼できる数冊の刑法の本を速読で鉛筆をひきつつ読みこなし、各項目ごとに頭の中で要約し、それを次々に口頭で文章化することができます。私の要約した文章を、猛烈なタイピストが打ち込んでいくという方法をとります。ですから、短期間に要約的サブノート的解説書ができあがる仕組みです。
それで、法律と英語を中心に書いてきました。学問的ではなく、それがかえって分かりやすいという取柄のノウハウ本を出版し続けました。若い時に代ゼミの英語の講師をしていて、その要約英語本で成功したノウハウを生かし、法律の分野に、受験参考書的波を持ち込んだ最初の著者と言われました。こんなことを書くのは余程のバカか狂人ですが、天才的だと言われました。私自身、異常な集中力と、異様な熱意と、創造性と、記憶力と、要約力に天才を感じることがあります。
・・・・
もう1つ、松下電送時代の営業を生かして、全国の数千点の書店を営業しました。営業の鬼と言われました。バインダー2冊の営業本ノートが残っています。
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タイトルや装丁も自分で運営しました。
・・・・
ただ、法律の辞書の場合は、数人のチームを組んで執筆しました。辞書の性質上当然のことです。
また、いくつかの本でも、期限に間に合わせるために資料収集や下調べや下書きなどをお願いしたことが確かにあります。ただ、80冊までは自分1人でやりました。また、英語の本などでは、不定詞や仮定法の説明など、同じ説明を繰り返しました。不定詞は変わるものではないからです。これは自分1人で簡単に応用できました。
・・・・
Sは、私にゴーストライターが途中から入って、書かせたような宣伝をしているようです。そもそも、非常に分かりやすい法律解説書ができるゴーストライターなどというものが簡単に存在するでしょうか。また、そんな技術を持っていれば、その人自身の名前で出版するはずです。私の出版物の最初は代ゼミや大学の非常勤講師にすぎませんでした。教授になったのは最後の方です。ですから、私は権威ある名前で本を書いたのではなく、むしろノンキャリアなのにとても分かりやすい良い本を書く独特のライターとして出発し、前進してきたのです。
・・・・
私は、34歳まで政治社会活動に没頭していました。それから完全に抜けた時、何かしら背骨がゆっくり曲がるような辛い思いをしました。それを跳ね除けるべく、本当に火の玉になって執筆出版に没頭しました。元々爆発的な集中力を持つものです。4時50分に起きて、5時からは執筆に入りました。
・・・・
どうしてもSの反尾崎宣伝を打ち破りたいので、更に自慢を含めて記します。
父親である尾崎弘は大阪大学名誉教授でしたが、大阪大学の中でも抜群の学者でした。同時に10冊以上の本を書く、質量ともに偉大な存在でした。実兄尾崎幸洋は、2016年11月現在関西学院大学の副学長ですが、やはり質量、特に量的に膨大な業績を残しつつあります。3人とも量的に火の玉になって凄まじい業績を残してきました。ただ私以外の2人は質的にはノーベル賞クラスの学者です。
血筋としても、そういう家庭の中で、能力を生かしつつ、父親に負けてはいけないという気持ちがありました。父親を心から敬愛しています。
・・・・
教授職から無理やり離れざるをえなくなって10年近くになります。火の玉になって量産する執筆者でしたが、学問的な業績は確率できませんでした。元々47歳で大学院を出た回り道組ですから、学者になることは不可能でした。その代り、とても分かりづらい法律を非常に分かりやすくしてきました。泣き寝入りを防ぐのが人生の目的の1つだと思ってきました。自由国民社の竹内という最高の編集者に恵まれた幸運もありました。
今さら過去のキャリアに未練を持つわけではなく、親愛なる皆様に私の基本を理解していただきたく記した次第です。

【特別告知・・・・読んで下さい】
・・・・・ 現在の私こと尾崎哲夫と付き合う秘訣をそっと教えます!!・・・・・
12年の経験から、どうしたら友人関係を壊さずに付き合っていけるか、迷惑をかけずにやっていけるか、解っています。
①あなたが、特に洗脳されたり、Sの会員であったり、しない場合、つまり覚醒した普通の人間の場合、どこかから特別な強制命令がでない限り、私は友人が大好きで、とても友達を大事にするタイプですから、12年より前と同様、素晴らしい友情関係が築けると思います。どこかからハシャクの強制命令が出た場合でも、常識の範囲で私とあなたが日常生活に溶かし込む限り、問題はでません。
②あなたが、洗脳されていて、他人にハシャクすることに喜びを感じる人である場合や、ハシャクして点数稼ぎをしようというようなタイプの場合、時として、私が強く反応する場合があります。相互に相当傷つき、お互いが所属する組織に迷惑をかけることがあります。Sは、あなたも相当傷つくことを知りつつ、ハシャクをやらせたりします。
③触らぬ神に祟りなし、という形で私から遠のいたりする方を恨むことなど決してありません。元妻と「去る人に悪い人なし」という悲しい標語を作ったことがあります。自分も傷つきたくないし、尾崎を傷つけてもう嬉しいはずがない、そういう良識を尊重します。ただ、グループや会食の中で私と付き合う限り、原則、問題はほとんど発生しませんから、多くの人がそうしているように、適度に距離をおいて付き合うという方法があります。
④ここだけの、ナイショのナイショの話ですから、口外しないで下さいね。実は、私は、元来は、とってもとっても性格が良いのです。物凄く素晴らしい両親に育てられ、恵まれた人生でしたから、性格が悪くなるという可能性は極めて低いと言えます。本を200冊書いたのも、編集者との人間関係が抜群によくて、友達に囲まれて成功したのです。この12年で、確かに大きなイガミもできましたし、まずい刺激に強く反応することもありますが、上手に付き合って下されば、良き友達なのですよ。

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Q&A

Q&A前書き

以下のページからシステム書類Q&Aは、2009年に書いたものです。

ですから現在とは、心境、環境、状況が全く異なっています。しかし、眼病の為、書き直すことが出来ません。ハラスは2004年から始まっていますから、当時から2009年までの状況は、厳密な事実で記しています。

ただ、この間のハラス状況は、筆舌に尽くしがたく、現実の生活はこの書類内容よりはるかに厳しい生き地獄です。

深いご理解をいただきたいと、祈りを込めて書きました。僭越ながら、この書類を読んでいただくと、皆様の人生観や将来の展望が大きく変わると思います。現代の世の中にこんな事があったと、学ばれる事が尽きないと思います。是非是非熟読してください。

2015年 尾崎哲夫

 

尾崎哲夫

Chapter 1 システムと私

Qシステムとは何ですか?

世界を支配する巨大宗教集団とそのコントロールシステムを併せてシステムと呼びます。

Qハラスとは何ですか?

システムが破折(はしゃく)と称してターゲットに加えている残忍な嫌がらせのことを、私はハラスと呼んでいます。ターゲットとは、ひどい嫌がらせを受け続けている者です。ここ数十年の間にシステムが飛躍的に勢力を強めました。ハラスによって人々を屈服させ、宿命転換と称して人々をシステムに組み入れてきました。通常、その期間は平均一年間程。

Q尾崎さん一家にはそのハラスはいつ始まりましたか?

2004年6月頃。近畿大学に語学改革委員長としてスカウトされ、ベストセラー本が出て、私の人生が上り坂に入った頃。こういう時を狙って攻撃を開始するのが、このハラスの特徴です。

Qそのハラスが尾崎さんの身に起こるのが他の人より遅かったのでは?

普通の人は2000年までに始まり、一年程で終わったのではないでしょうか。私に関しては、始まるのが遅かったと思います。

Qハラスはまだ続いているのですか?

2004年6月から現在に至るまで生き地獄が続いています。私の人生は粉々に砕かれました。

Qなぜ尾崎さんには宿命転換がこないのですか?

特殊ターゲットに選ばれたからです。特殊ターゲットとは、生涯嫌がらせを受け続けるという身の毛もよだつ生贄の羊のようなものです。私の場合、一生涯、人格破壊的なハラスが続くと思います。この中にこれほど恐ろしいことはありません。出口のない暗黒の不幸の塊です。

Qなぜ尾崎さんが特殊ターゲットに選ばれたのですか?

特殊ターゲットに選ばれるにはいくつかの条件があると思います。

子供がいること:大人だけなら田舎の山奥に逃げ込んだり、逃げ切ることが可能だからです。

人々から嫉妬される存在であること:高い社会的地位、貧しくないことは、一部のハラスを人々にとって、ハラスをする時のエネルギーになるようです。悪質なハラスをする人は人の足を引っ張って喜ぶ傾向があるので、「エリートをいじめてやろう」と思われる存在であることが必要です。雅子妃の例も基本的には同じパターンです。

ターゲットとして耐えうるエネルギー:経済的状況がよいこと、一定の健康状態であること、特殊ターゲットとしてハラスを受け続ける耐久力があること。

ハラスをする口実を見つけやすいこと:私が若い頃、社会主義を信奉したことが反システムの証拠となったり、ハラスをする口実になったりしているようです。ハラッサーに動機付けをする際、わかりやすい口実があることはシステムにとって都合がよい。1970年前後に青春を迎えた早稲田・東大の学生の多くは、正義感から社会主義に強く興味を持ちました。私はその一人にすぎません。

Qシステムとハラスについて尾崎さんに具体的な説明をした人はいるのですか?

私は、システムすなわち巨大宗教団体に強制入会させられましたから、その関係者の人たちとの会話の中で、いろんなことを学びました。また、近畿大学教授時代にハラスがひどかったわけですが、一年間の休職期間中に近大医学部人見教授に一年間診療していただきました。先生は近大医学部の精神科の主任教授です。先生はシステムの実態について語ってくれました。また、近大総長のはからいで2005年1月中旬に近大の応接室で、私と近大教務部長、近大入試部長、公明党参議院議員を24年務めた峰山氏の四人で解決策を話し合ったことがあります。

Q尾崎さんはシステムに対抗しているのですか?

私はシステムに対抗する気持ちは毛頭ありません。私は2004年でシステムのことを知らず、ひたすら研究と執筆に精進を重ねてきました。今でもシステムが宿命転換をさせてくれるなら、喜んで受け入れます。私はシステムに毎日熱湯を浴びせられていますから、その熱湯から逃れるために逃げ惑っているだけなのです。

Q尾崎さんはシステムに批判を持っていますか?

システムは巨大で完璧な万力のような社会のコントロールシステムです。私のような一介の研究者が批判できるような生易しいものではありません。ただ、システムが支配を強めたこの二、三十年の間に、世の中がどんどん暗く悪くなっているのがとても心配です。教育、地球環境、景気、格差社会、雇用、人間関係のどれをとっても坂道を転がるように悪化しています。人々は平気でウソをつくようになり、お芝居やとぼけることが巧くなっています。これは本質的に下品で卑しいことです。また、人々の人相が悪くなっていっているように思います。

Q輪廻についてどう思いますか?

まず、輪廻思想は身分差別を正当化するのに常に使われてきました。インドのカースト制においても同じです。システムはこの思想を、特殊ターゲットへの攻撃を正当化するために、特殊ターゲットは宿命を負っているのだから攻め殺されても仕方がないと言って利用しています。小さな子供の場合、親の宿命とか前世の宿命だから仕方がないという説明がされます。前世の宿命ということは、すなわち輪廻思想です。

例えば、私の前世が室町時代の武士であり、その前が飛鳥時代の農民であるとします。その前は弥生時代の農民であり、さらにその前は縄文時代の住民、ということになり、それを辿っていくと進化の逆になりますから、いきつくところは動物から微生物へ、そして地球の最初の爆発に辿りついてしまいます。この地球がガスの爆発で誕生し、酸素や水が地球上にできた後に細胞などの原始的生物から長い時間をかけて人類に進化したことは、絶対に誰にも否定できない事実です。それを不思議に思う人もいます。しかし、今日生きている私たちが元は卵子と精子の結合であり、初期胎児の頃は魚屋鳥類の胎児と同じ姿をしていて、生まれる時は最後に枝分かれしたサルと似たような姿をして生まれてくることは、進化のプロセスを雄弁に物語っています。

卵子と精子の結合からサルに似た人間の子供として生まれてくる胎児のプロセスこそ、進化の過程そのものなのです。ですから、人間が輪廻しているとか、前世があるということは、絶対にありません。科学を持ち出すまでもなく、私が目で見ることができる事実と真っ向から反しています。

Q人間関係はどうなりましたか?

五年前からあらゆる人間関係は人工的になりました。現在はシステムによって人間関係も完全にコントロールされています。特殊ターゲットはその中で24時間盗聴・盗撮をされ、檻の中の小鳥です。24時間プライバシーがないことの恐ろしさは、経験した者でないとわかりません。

周りの人々は、私に関する虚実取り混ぜた情報を吹き込まれ、命令通りに動きます。例えば、「近づいていってハラスをしろ」「友達になったふりをして情報をとり、動きを監視しろ」「普段徹底的に虐めてるから、少しサポートしてやれ」「尾崎を誘導しろ」。

例えば、私にあることをさせたいとしたら、私の周りの友人を使って巧みにその方向に誘導します。私にあることをさせたくないとしたらその友人たちに「そんなことはするな」と説得させます。私がある地域にしばらく滞在すると、必ずその場所で友人としてふるまいつつ私を誘導し、監視し、ヘルプするサポーターが登場します。私はそのサポーターたちを真の友人たちと思うのですが、突然ぴしゃっと去ったり、豹変したりします。その場所を離れると、連絡が断たれ、人工的な友人関係だということを思い知らされます。私は友人をとても大切にするタイプで、しかも非常に社交的でかつ様々な仕事をしていましたので、多くの友人に恵まれていました。そのうちのほとんどの人々は、私が特殊ターゲットになって以来、去っていきました。これほど悲しいことはありません。

Qそのほか人間関係について感じることは?

周囲の人は、私が特殊ターゲットなので、気分転換のために私を責めるようになります。私一人でサンドバッグのように攻撃されっぱなしですので、私はどうしても縮んできます。おどおどすることもあります。すると周囲の人は勘違いして私を軽く見るようになります。虐めて喜ぶ人が出てきます。なめた態度を取る人も出てきます。ハラスのついでにお金を取ろうとする人も出てきます。定価より高い値段で売りつけたり、お釣をわたさなかったり、悪質なことを正当化する人が出てきます。やっていることは泥棒と変わりありません。

Qこのメモを書いた際の基本方針をおしえてください。

このメモは基本的に私たちの備忘録。私たちの問題はきわめて説明しにくく、また説明するべきではない問題。親族や親しい友人に家族の地獄そのものの状況を説明せざるを得ない時にこのメモを使うこともあります。私たちの備忘録なので、省略やメモが散在し、意味不明な所もあり得る。ごく限られた人にお見せする場合、ご理解いただけるところだけ読んでいただければ幸い。私のような状況にある人間の場合、少しでもいい加減なことを書くと、全部が疑われるからです。誤った情報や噂が交錯する中、とにかく事実にしがみついて書き記しました。システムはウソとデマを垂れ流し、私を貶め、攻撃する人が「そんなに悪い男なら攻撃してやろう」と思うように導きます。私は五年前にハラスが始まる前もほとんどウソをつかないようにしていました。正直に誠実に生きることが人生の最も大切なものであり、また返って成功への確実な道だと考えてきました。どんな屁理屈をこねてもウソはウソです。自信のない人、卑劣漢がウソをつくのです。また、ウソは人を堕落させます。

2004年にハラスが私に始まって以来、私はウソとデマに苦しんできました。これに対抗するには、私が絶対にウソをつかないこと、馬鹿正直と言われても頑なに事実を述べ続けることにしました。これが私の家族を守る唯一の武器だと確信したからです。システムはウソを撒き散らします。私が事実を主張し続けます。時間が経つとシステムのウソに矛盾が出ます。人々は「確かに尾崎の言うことは全部事実だ。彼は歯を食いしばって本当のことを言っている。何だ、システムの方がウソが多いではないか、いやウソだらけだ。尾崎はそんなに悪い人ではないではないか」と人々が思い始める瞬間を必死で待ち続ける決意をしました。これは強固な意志が必要です。デマの中で慄然と立ち尽くすこともあるでしょう。しかしそれでもなお人間の誠実を守って事実のみを主張し続けることがやがて心ある人々の理解を得ると、信じたいと思います。

松下電送勤務中、優れた人事課長がいました。障害者を採用する時、手に不自由を持つ方と、人事課長と私が面接する段取りになりました。その障害者の方は、右手を隠して見せてくださいません。その時に、人事課長が次のように発言したことを、ありのままの事実を重視するという人生を貫く本質的なこととして、深く受けとめました。

「貴方が右手に障害を持たれ、それを見せたくないというお気持ちは、私には計り知れないものかもしれない。しかし、採用の責任を持つ人事課長として、ご一緒に仕事をする限りは、どうしても右手の不自由な程度を確認する義務がある。右手に不自由がある事実が、事実としてある限り、あるがままの現実を受け止めて、見せていただくお気持ちがない限り、一緒に働くことはできないのです。」

もう一つ。大江健三郎が次のように言っています。

人は、誇張したり、嘘をついたりする。表現者は、筆がはしらないように、とばないように、執拗に事実に固執する鍛錬をすべきだ。大げさな表現にならないよう、誇張にならないよう、主観にならないよう、石に刻み込むように、黒光りする事実を刻み込んでいく習慣をつけなければならない。

私も含め、人間は色んな状況で、誇張したり、ホラをふいたり、いつわったり、隠したりします。私は弱い人間なので、そういう傾向があると考え、あるがままの自分を出す努力を続けないとまずいと、確信しています。私の本が売れる理由の一つに、こういう努力が実を結んでいると思います。

Q尾崎さんが抱える状況を説明するヒントになる映画はありますか?

ジム・キャリー主演の「トゥルーマンショー」という映画があります。私たちの状況は、この映画の中のジム・キャリー演ずる主人公によく酷似しています。

Qほかに尾崎さんの状況をイメージするヒントはありますか?

数年前にテレビで登校拒否時など問題のある子供たちを集めた信州の小さな学園についての番組がありました。立派な校長先生夫妻と幾人かの教師と生徒たちが集団生活をしながら勉強を続けるドキュメンタリーでした。校長先生の飼っていた犬が教員たちが知らないうちに数人の子供たちから苛め抜かれ、おかしくなってしまって殺さなければならない状態になりました。傷を負った生徒たちがヒモでつながれている犬に対して石を投げたりさまざまなイジメを繰り返し、逃げ場のない犬が狂ったのです。私は自分たちの状況のことを考えると、自分たちがこの犬のように思えてぞっとします。

Q尾崎さんに執拗で残忍なハラスを繰り返すシステムの目的は何ですか?

システムは巨大宗教団体の世界コントロールシステムです。ローマ帝国やギリシャの国家以来、人類はさまざまな統治システムを開発してきました。わが国でも大和朝廷以来、国司や郡司などの階級システム、租庸調などの徴税システム、江戸時代の士農工商や五人組システムなどが、支配者の統治のために実行されてきたのです。密告や相互監視が奨励されました。特に近代になってその支配の締め付けは厳しくなりました。ナチスの強力な統治システムもありましたが、あの場合はユダヤ人が犠牲になりました。国民の不満はユダヤ人に向けられ、ナチス党への忠誠が強制されました。アメリカのCIAなどの秘密警察による情報管理システムも恐ろしいものです。そして社会主義国家は盗聴や拷問をはじめ、すさまじい暗黒のシステムを築き上げましたが、北朝鮮はその最たるものです。現在のシステムは、これらの過去のシステムを科学的に分析し、さらに徹底的かつ残忍な統治機構を創出してしまいました。

まず「敵を知れ」ということで敵を作り上げ、メンバーの怒りや憎しみをそちらに向けさせます。過去には他の宗教団体や共産党などが絶好のターゲットになりました。メンバーはシステムを信じても幸せにならないことが多く、その不満の捌け口が必要です。また、システムの言うことを聞かなければ尾崎のような目に遭うぞという脅しになります。犠牲の羊として、どうしても私のような特殊ターゲットが必要なのです。ですから、特殊ターゲットは人から嫉妬され、羨ましがられる必要があります。エリートが特殊ターゲットに選ばれ、人々の嫉みを利用します。有りもしない特殊ターゲットの悪い噂を作り上げ、皆がいそいそと特殊ターゲットにハラスをする環境を作り上げます。「尾崎は敵だ」「尾崎は反システムだ」「尾崎は仮面を被っているが、悪い人間だ」「責めて責めて責め殺せ」「尾崎がこうなるのは宿命だから仕方がない」「尾崎の前世が悪いから宿業なんだ」など、ありとあらゆる噂などがばら撒かれ、攻撃を一心に私に向けるのです。

Qほかにどんな目的がありますか?

システムはメンバーに様々な訓練を施し、メンバーをロボット化しようとします。メンバーに対して「特殊ターゲットにケイタイ攻撃などをしろ」と命じます。命令に従わなければ反組織的といって懲罰を加えます。ですからメンバーは特殊ターゲットにケイタイ攻撃などを繰り返します。このようなハラスに手を染めるに従って、人を虐めることに喜びを感じる悪の心がその人の心にケロイドのように広がっていきます。やがて、ハラスをすることが癖になったり、喜びを感じるようになったりします。また、普段は真面目で優しい人でも、一旦ハラスをすると急に人が変わります。心に悪のスイッチが入り、別人になります。そして私が強く抗議したりすると「自分は当然のことをやっているのに、なぜ叱られなければならないのか」と、勝手極まる行動にでます。自分が人に嫌がらせをしておいて、当然の反撃をされると逆ギレするような奇怪な心理状態になってしまうのです。

 

 

Chapter 2 ハラスの実態

Qハラスをする人にはどんな特徴がありますか?

ハラスをする人々を次のように分類することも可能だと思います。

①何の関係もない人、特に子供にハラスをしたくないが、システムによる強制命令によってハラスをする人。自分に自信が持てる上品な人、成功している人に多いタイプ。

②誤った信念にはまっていて、ハラスをすることに疑問を感じない人。

人が傷つき嫌がるハラスをすることを楽しんでいる人。この種類の人には、コンプレックスが強い、自分に自信がない、自分自身に対する不満が強い、などの特徴があります。この五年間の観察でよくわかります。自分が不幸なのに無理に幸せだと思おうとして、どうしてもできない人。失業、離婚、生活苦、自分の容姿に不満があるなどで強いコンプレックスを持っている人々が、このタイプになりがちです。努力をするのが嫌いだという特徴もあります。ですから、努力をして成功した人に卑しい嫉妬心を持ちます。自己の努力不足、とりわけ青春期の学業努力不足により学歴や職歴に強い劣等感を持っている人々です。自分に自信があり、成功しており、明るく前向きに生きている人は、このタイプにはなりません。システムは劣等感や嫉妬心の強い人に対して「特殊ターゲットは恵まれすぎている。運がよいだけ。いい家庭に生まれただけ」と貶めつつ、嫌がらせを奨励します。

④喫煙、飲酒、パチンコなどにはまっている人が多い。自分に対する不満の表れ?

Qシステムはどのようにターゲットにハラスを加えるのですか?

システムとしては、とにかく私の攻撃を集中させることに専心します。ハラスをするメンバーが喜んで私にハラスをするように工夫します。要するに、私の周囲の人が、私や私の家族を憎む方向に出るのです。

Qケイタイ攻撃とは?

世界で最も普遍的に利用されている携帯電話を使ったハラスの一種。一見無害を装える最も陰険な攻撃方法です。刑法的にはまず暴行罪にあたります。さらに、これによって相手が傷ついた場合、傷害罪になります。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引起す陰険そのものの攻撃です。私がケイタイ攻撃を指摘すると、「携帯をかけたらどうして悪いのですか」と平気でウソをついてとぼける訓練がなされています。人を傷つけておいて指摘されるとウソをついてとぼけてしらを切るという人間として恥ずべき行為が世界中で広まっているのです。

例えば、誰かに銃口を向ける行為を考えてみます。銃口そのものはただの鉄の塊で、弾を入れなければ無害です。しかし、銃口を向けられた人は反射的に恐怖感を深く感じます。それは、銃口というただの鉄の塊が攻撃のシンボルになっているからです。ケイタイも、特殊ターゲットに対してそれは攻撃武器だと印象を刷り込むことによって不快感を与える武器になっているのです。ある種のパブロフの犬の条件反射作用の応用。このように、いつでもとぼけられる形を利用して人を傷つける行為は、システムの卑怯さ、卑劣さを示す証拠でしょう。この派生として、ケイタイを持っているふりをしたり、咳払いをしたり、色んな方法で人に不愉快感を与えるなど、卑劣そのもののことが世の中に蔓延するようになってしまいました。こういうことを習慣的に行うことは、ハラスをする人本人にも悪の心が育ち、大変危険なことなのです。

Qシステムは、尾崎さんと周囲の人々とが敵対関係になるよう工夫しているようですが…。

そうです。周りの人が私にハラスをしたくなるような極めて巧妙な作戦が必要に展開されます。その中でも最も悪質なものが、次の恐ろしいパターンです。

私が山田さんと友達になりつつあるとします。山田さんももちろんシステムのメンバーです。システムは山田さんに「尾崎はあなたの知らないところで、あなたの悪口を言っている」とささやきます。人間は弱いものです。山田さんはころっとこのシステムのウソのささやきを信じてしまい、私を嫌うようになります。

私と鈴木さんが友達になりつつあるとします。鈴木さんももちろんシステムのメンバーです。鈴木さんはシステムの命令により携帯攻撃などのハラスを私に対してしなければなりません。すると、私と鈴木さんの間にひびが生まれます。システムは鈴木さんに「尾崎はあなたの知らないところであなたの悪口を言っているよ」という悪魔のささやきを開始します。鈴木さんはハラスをした負い目がありますから、「おれがハラスを始めたから尾崎は私を嫌い始めて悪口を言い始めたのか」とニセ情報を信じてしまうのです。こんな具体例があります。

五年前、私の原稿の整理を手伝ってくれていたアルバイトのAさんがいました。大変優秀で人柄のよい方でした。Aさんは七年前からアルバイトをしてくれていて、私たちにハラスが始まったのが五年前です。さて、周囲でハラスが始まりました。Aさんと私たち家族の関係はギクシャクし始めました。そんな或る時、私と妻が「Aさんは人柄もよいルックスもきれいだけど、もう少しやせたら抜群の美人になるね」と自宅でAさんが来ていない時に話しました。盗聴によりこの会話を録音したシステムは、Aさんに「尾崎夫婦はあなたのことを太っていると言っている」と話を作り変えて言ったのです。Aさんの私たちへの態度が急変したので、私たち夫婦はAさんを問い詰めると、Aさんは泣きながらそのように言われたことを告白しました。

また、このような具体例があります。実兄が他界した両親の財産を隠匿したので、私は旧来の友人である白子雅人弁護士にこの件につき委任しました。さて、高校時代の友人のK君に兄との相続問題を相談しました。私はK君に「白子弁護士という立派な弁護士に委任したから大丈夫だ」と言いました。K君は何気なく「ハクシという名前は韓国系の人か?」と聞きました。私は「さぁ」と答えました。白子弁護士は私が法律研究者として信頼している立派な人なのでそのようなことに興味を抱いたことがありませんでした。ところが不思議なことに、白子先生と会った時に白子先生は「私は韓国系の人間ではありません」と名前の由来を説明し始めました。私は驚きました。長い付き合いの中で白子先生がそのようなことを説明しようとしたことはなかったからです。変だなと思いました。そしてピンときました。「あぁ、システムが私とKとの会話を盗聴し、私が白子先生は韓国系の人だと吹聴していると、白子先生対して信じ込ませたのだな」と思いました。システムは私とK君との会話を捻じ曲げて悪用し、つまり私が白子先生のいないところで白子は韓国系だと民族差別的な悪口を言っていることにしたのです。恐ろしいデマであり、許しがたい非人間的な捏造です。

私がアメリカのオレゴン州ポートランド市の法科大学院に通っていた時、住んでいたアパートに黒人親子がいて、常に私たちにハラスをしました。私は英文で自分の状況を説明する文書を作成しました。ちょうどこの文書と同じようなものです。その中には、さきほど書いた韓国人差別の問題などが入っており、私の法律研究者として当然の差別反対の立場も綴っていました。さて、この親子にも文書を配ったところ、その日から態度ががらっと変わりハラスが止みました。私がアパートの会議室に母親を呼んで一体どうしたのだと問い詰めました。その黒人女性は深刻な顔をして下を向きながら「あなたが酷い黒人差別者だと聞いていたが、あの文書を読むとそうでないことがわかった」と告白しました。私の一番好きな映画は「アラバマ物語」です。この物語はグレゴリー・ペックが演じる正義の弁護士と二人の子供の交流を描いたアカデミー賞受賞作品です。この正義の弁護士は、無実の黒人青年を救うために弁護をかって出ました。保守的で差別的なアメリカ南部の町の人々の反感をかいつつも真実を貫きました。私がこの映画のファンだということは黒人差別に反対だと言うことなので、その黒人女性は噂がウソだということを確信したそうです。文書の中にこの映画のことも触れてありました。どうも黒人の人々が私に敵意をむき出しにすると思っていたのですが、結局システムが「尾崎は黒人差別者だ」というデマを撒き散らし、黒人の人々の反感を煽り私へのハラスを促進していたのです。身の毛もよだつデマ作戦に気がついた私は、周囲の黒人の人々に「アラバマ物語」の本とDVDを見せつつ、自分が黒人差別者ではないと説明しました。DVDはそれ程古いものではありませんでしたが、本は二十年以上愛読した古いものでした。すると、本とDVDが盗まれたのです!ルイス・アンド・クラークという法科大学院の中でも四人の韓国人留学生グループが殊更私にハラスをしてきたので、ピンときた私は文書を渡しました。彼らも私が韓国人差別者だと言いくるめられていたのです。システムは、人々の差別意識を利用して、私へのハラスを煽り立てるのです。文書を渡した後、韓国人グループの嫌がらせは完全に止み、そのうちのリーダー格が微妙な形で私に謝罪のような発言をしてきました。

2009年春に宮崎県串間市に着てからもピンときた経験があります。私はソフトバンクの携帯電話を持っていましたが、ソフトバンクがシステムの命令で私にハラスをして散々な目に遭いました。串間市の中の市木に住居を定めると、そこはソフトバンクがカバーできない地域でしたので解約しました。日南市に電化製品の量販店があり、そこで電化製品を買ったついでにドコモの携帯電話を買いました。担当者はソフトバンクを解約するならすぐ近くにソフトバンクのショップがあるとおしえてくれましたが、地元串間市のソフトバンクのショップに解約に行きました。いつもの責任者の女性がなぜか理由もなく怒っていて態度がよくありません。ハラスによるトラブルをその女性に頼んできましたが、その時は親切で真面目な方でした。態度が一変したのです。私はまたピンときました。私は次のような推測をしました。

私が電化製品を買うついでに日南市のドコモに行った。そのついでに日南のソフトバンクのショップを紹介されたのに串間に戻った。それなのにシステムは「尾崎はハラスをされた腹いせに地元串間のショップの悪口を言っている。だから日南の店に行ってキャンセルだけは串間でやっている」。主観的推測のようですが、そう考えないとその女性担当者が立腹している理由がわかりません。私はソフトバンクにハラスをされてソフトバンクの本社やお客様センターに痛烈な抗議をしてきましたが、何の罪もない地元のショップの担当者の方々には紳士的に対応してきましたし、担当者の方々も常に紳士的に対応してくださっていました。

Qシステムはよくウソをつくのに、なぜ人々はシステムの情報を信頼するのですか?

ここでも巧みな心理操作が行われています。例えば、私がテニスクラブに入ろうとしたとします。私は最寄のテニスクラブを電話帳で探し電話をかけます。システムは私が電話帳でテニスクラブを探し始めた時点で、特殊ターゲットがクラブに入りたがっているからもうすぐ電話がくるだろうという情報を流します。すると本当に私から電話がかかっています。システムは私の人相、家族構成、キャリア、服装、最近の居住地その他をテニスクラブのオーナーに教えることができます。すると本当にシステムの情報通りの人物がテニスクラブにやってきます。テニスクラブのオーナーはシステムの情報がことごとく現実化するので、システムの情報を信じるようになるのです。そして私がテニスクラブに行って、過去に経験があるとか、週に一回ほどやりたいとか、娘と一緒に練習したいとか、ついでにラケットも買いたいとか、システムの情報通りの話を始めます。さらに付合いが深まると、お寿司が好きだとか、巨人ファンだとか、妻が海外留学しているとか、すべてシステムの情報通りのことを私が話し始めます。この段階でオーナーはシステムの情報はいつも正しいと信じるようになります。システムはこれらの情報の中に黒いウソを少し溶かし込み始めます。今までの情報が正しかっただけに、真実の中に紛れたウソに気がつかず、オーナーはシステムのウソを信じてしまうのです。

Qシステムは常に尾崎さんの周囲の人々に情報を与えているわけですか?

システムは必要に応じ、尾崎情報を虚実取混ぜて提供します。人工的友達にならせようとする場合はそれほど悪い情報を提供せず、尾崎を嫌わせようとする時はデマを一挙に流したりします。尾崎情報の提供は常に便宜的です。

Q兄尾崎幸洋氏との遺産相続問題とは何ですか?

システムはこの問題を私を貶めるための材料としてデマを撒き散らすので、プライベートなことですがここでお答えします。

2005年秋、母、父が相次いで逝去。兄は両親を狭い病院に閉じ込め、ろくな看病もせず、両親から小銭まで取り上げ、最期は父が兄を恐れて私に「お前が来てくれるとほっとする」と涙を流すほどでした。兄は多額の財産を隠匿し、父親の勲三等の勲章を隠匿し、ダイヤモンドや貴金属を隠匿しました。その後も、両親の写真のコピーさえ私に渡さず、私の家族に惨いハラスを繰り返しました。私が特殊ターゲットになっている状況を利用し、財産を横取りしようとしたのです。兄は両親の近くに住んでいましたが、特に世話をすることもなく、逆に兄の子供が散々両親の世話になりました。看護期間はほとんどありません。結局、システムがハラスのために私に酷い思いをさせる作戦を立て、兄をそそのかし堕落させ、兄弟関係をつぶしたのです。この件でどれほど嫌な思いをしたかわかりません。

念のために書きますが、私は一切やましいことはしていません。周囲からハラスを浴びせかけられ、大学を休業し、当時私は麻痺状態でした。この頃、妻とともに朝の9時から3時まで交替で娘を守るために幼稚園の見学をしており、心身ともにくたくたでした。それなのにシステムはまったくのデマを流しています。

Q具体例をおしえてください。

2009年2月9日、ノースウェストオリエント航空でアメリカから帰国しました。この五年間、飛行機に乗る度に機中で嫌がらせを受けることがよくありました。座席後部から蹴られることもよくありました。それで私と娘の席を縦一列に予約しました。ところがポートランド航空に着くと座席が変更してあり、三人掛けの横二列をとったから変えてくれと言われました。飛行機に乗ると、トレーをわざとぶつけられたり様々な嫌がらせに遭い生きた心地がしませんでした。スチュワーデスに抗議すると失礼だと言ってチーフパンサーが何と私のところに抗議に来ました。日本に着陸したら逮捕してもらうとまで言います。私と娘は10時間の間、機内で拷問を受け続けました。娘は泣き続けていました。この件は近いうちに訴訟に持ち込みます。

Qほかにどんなケースがありますか?

私の古い友人のケースを紹介します。娘さんが名門高校に入学直後、学校、塾、習い事の三ヶ所で一斉にむごいイジメが始まり、その娘さんは無呼吸症になりました。その娘さんはそれ以降学校に行くことがなく自宅ですごし、数年以上経過しています。少し精神状況がよくなると、短期アルバイトをしています。不思議なことに精神状態がよくなると、また周囲でイジメが始まり最悪の状態に置かれるようです。この一家はすでに宿命転換をしていますが…。

Qハラスで使われるデマの特徴をおしえてください。

私はシステムというのは豪邸コンプレックスではないかと思うことがあります。ターゲットは必ず豪邸に住んでいると言うのです。豪邸、豪邸、豪邸、ゴウテイ、ゴウテイ、ゴウテイ、キャンペーンです。ハラスをする人の嫉妬心を煽り、特殊ターゲットは皆金持ちで豪邸に住んでいると言いたてるのです。私の場合、宝塚のマンションは高価なものでしたが、オーストラリアのタウンズビル、タスマニアのアパート、アメリカのアパートは賃貸の安アパートに住んでいました。定住するかどうかわからないのだから当たり前です。

日本に帰国後、親類の者に「ポートランドの安アパートはヒーターが時々とまり寒くて困った」と言うと、「豪華なマンションに住んでいたのではないのか?」と聞かれました。どうもその親類は、私がアメリカで立派なマンションに住んでいると教え込まれていたのです。私は今では月2万5千円の借家に住んでいます。無職で、わずかな印税収入しかなく、貯金を取り崩しつつ、固定電話も持たず、慎ましく暮らしています。一時かなり裕福な時代もあったのですが、夢のようです。とにかくシステムは、ハラスをする人々の嫉妬心を煽り、特殊ターゲットに攻撃させるのです。

Q日々の生活は?

妻が海外大学院留学していますから炊事洗濯掃除と娘の世話をしつつ、勉強と執筆を細々と続けています。インターネットの普及で紙の本はほとんど出なくなっています。私は2009年現在56歳ですが、あと30年生きるとしたらわずかな印税収入と貯金の取崩しでこの30年を生きなければいけません。現在のような状況では、娘が無事に大学を出て就職するという保障はなく、8歳の娘が死ぬまである程度の生活の保障をしたいと祈っています。システムは嫉妬心を煽るために私が今でも裕福だと得意のデマ宣伝を繰り返していますが、今後数十年の私と娘の生活を考えると絶望的になります。

Qよく物が盗まれるということですが?

はい。システムは自由自在に建物に出入りする力がありますから。例えば、

①アメリカオレゴン州のポートランドという町にいた時のことです。しばらく滞在したホテルに預けた2本の愛用ラケットを盗まれました。そのホテルは責任を認めて賠償してくれました。

②アパートに保管してあったパスポート、後に最重要カバンから見つかる。もちろんこのカバンは紛失に気づいたときに再三チェックしたカバン。システムがバランスを考えて戻したものと考える。そして尾崎の勘違いと言う噂をまく。

③エンバシースイートで買ったばかりの携帯が、ずぶぬれになっていて使えなくなって、買いなおして、データ入れなおしてすごい時間の無駄。エンバシースイートは補償してくれたが。

④二枚の現金引き出しカード。パスポート同様持ち歩かないので無くなるはずない。

⑤スイス製時計

⑥コート これは私がどこかで脱いで忘れた可能性がゼロではないが…。

⑦引き出しに入れた切手など

Q日本帰国後にも盗まれたものはありますか?

2009年3月、宮崎県串間市に来て市木に定住し始めました。その市木の借家で、前年のクリスマスに娘に買ってやったニコンの新品のカメラが盗まれました。これは警察に届けました。

洗濯用洗剤など実用的なものも盗まれました。他の高価なものは盗まれていませんので、システムが嫌がらせに娘が大事にしていた記念のカメラを盗むことを命じ、命じられた人が洗濯洗剤などの実用的なものを失敬していったものと考えられます。

Q尾崎さんはよく五年間もこんなハラスに耐えていますね。

私は確かに非常にエネルギッシュな人間ですが、特に強い精神を持った人間ではありません。私自身、よくこんな状態で発狂もせずに生き続けているなと思います。私がつくづく思うことは、人間というものはどんな状況にも慣れる動物だということです。

私は大学教授職、多くの友達、作家としての地位、その他人生の大切なもののほとんどを失いましたが、もしこれらが同時に起こっていたらとても正気で生きていけなかったでしょう。これらはゆっくりと時間をかけて一つ一つ剥ぎ取られて行ったのです。自殺したくなったり発狂しかかったりあるいは爆発しそうになると、ハラスが緩んだり、しばらく束の間の安楽が訪れたり、助けてくれる人が登場したりして、自殺を思いとどまります。その状態に慣れるとまたものすごい不幸が襲い掛かりますが、同時に、慰められるものが続き、事なきを得ます。またその状態に慣れると、さらなる凄まじい不幸が襲ってきます。

五年経って気がつくとすべて失っており心も身体もボロボロになっていることに気がつきますが、不思議なことに自殺する気が起こらず発狂もしていきません。落ち着いて冷静に考えると、「わぁ、自分は何という凄まじい不幸の中にいるんだろう。胸が引き裂かれる」と落ち込むのですが、何となく心身が麻痺したような浮いているような感覚です。こういう形でロボット化、骨抜き化されていくのです。

 

 

Chapter 3 私の決意と娘トモカ

Q娘とケイタイ攻撃

ハラスからの逃げ場を求めてアメリカ、シカゴに行った時のことです。考えあってミッキーマウスの携帯電話のおもちゃを買ってやりました。娘はいつもケイタイ攻撃をされていたのですが、この時はまだ意味がわかりません。ケイタイというのは不自然に人に差し向けるものだと思って、人々にケイタイを向けて反応を見ていました。私は涙が出そうでした。その後、娘はだんだんケイタイが自分への攻撃だと悟るようになりました。今では知らないふりをしていますが、内心は深く傷ついています。特に自分を可愛がってくれるはずの人がケイタイ攻撃をした場合、想像を絶する傷を負います。

オーストラリアの田舎にあるホテルの部屋に戻る時、階段の途中でケイタイ攻撃をしながら立っている人がいました。娘はその人に気がつき、何かを決意したように歯をくいしばってその人の脇を通り過ぎてきました。娘にとっては長い長い階段だったでしょう。私はその様子を見ていて、胸が張り裂ける思いでした。娘のこのような状態を見て、現在では娘の前でケイタイ攻撃する犯罪者に対して、命がけのトッコウをするようにしています。

Qトッコウとは何ですか?

あまりに卑劣・卑怯な嫌がらせに対する、やむを得ない最小限の正当防衛です。特に、幼い子供に対する卑怯な攻撃に対する、親としての義務です。罪のない幼子に卑劣な攻撃を加えるのなら、報いとして反撃を受けるのは当然です。私も捨て身でトッコウしますから、卑怯な行為をする人も命がけだと知るべきです。

特攻隊員たちはアメリカの爆撃機の飛行可能距離が日本本土に届くようになってから、とりわけ必死にぶつかっていったそうです。自分が空母を撃沈しなければ日本の子供たちに爆弾が注がれると知った時、彼らは捨て身になりました。

私は特攻隊を美化しませんが、彼らの必死の気持ちを学んでいます。

私はやくざが大嫌いですが、次の元山口組組長田岡氏の発言にはうなづきました。彼は歴代組長の中でも最も有名な実力者でした。彼がホテルのロビーで組員と談笑している時、一人のヒットマンが田岡氏の数メートル前に飛び込んできて銃を乱射しました。二、三発田岡氏に命中したのですが、間一髪で急所を反れ田岡氏は生き延びました。田岡氏は次のように言ったのです。「俺を狙うなんでえらいやっちゃな。勇気がある。しかし、あいつは俺を撃った後に逃げて助かるつもりで来よった。だから急所をはずした。彼が死ぬ気で来たら俺は死んでいただろう」私が正当防衛のトッコウをする時は、常に捨て身でやるよう心がけています。卑劣な行為をする犯罪者は死ぬ気で来てください。

Qいつトッコウを始めたのですか?

2009年アメリカから日本に帰国してからです。それまでの4年半以上、嫌がらせに対して無抵抗でした。元々小心者で虫も殺せない男でした。しかし毎日のハラスで人間性も変わり、またトッコウしか解決の糸口がないとも思うようになり、始めたのです。

Q毎晩ひどくうなされているとのことですが…。

私が一番訴えたいことは何か、私が今生きている原点は何か、と言われれば私は躊躇なく娘の人生のためだと答えます。その中でも娘と一緒に寝ていて毎晩、4年前から本当に毎晩うなされることほど、私にとって辛いことはありません。身の毛もよだつ恐ろしさです。そのうなされの中で娘はよく「やめて」という言葉を発します。今までどんなに辛いイジメにあったことか!4年前に始まったこのうなされは、ほとんど毎晩であり、私を苦しめ続けます。本当に毎晩ですか?などというとぼけた質問をした女性がいましたが、自分がウソをつく習慣があるために、真実を語っている人間の本当の話が信じられなくなっているのでしょう。これだけ酷い目に遭えば、脳に恐怖がこびりつき、毎晩うなされるのは当然です。

私は娘にケイタイ攻撃などをする人を許しません。殺したくなります。私も相手も死んでもかまわないという決意で、トッコウしています。

Q今の市木小学校は、娘さんにとって七つ目の学校だということですが…。

まず兵庫県の被昇天幼稚園、Tree House幼稚園、タウンズビルのSt. Joseph小学校、タスマニアのBranxholm小学校(この学校は廃校になった)、East Launceston小学校、アメリカのUplands小学校、そして現在串間市の市木小学校です。これらの遍歴は、すべて娘の安全を確保するために、新天地を探し回った結果です。

Q娘さんの将来は…

親バカなようですが、娘は大変な才能と豊かな感受性、優しい心を持って生まれてきました。とんびが鷹を産んだのです。娘を知る人々は皆、ものすごい子供だと口をそろえます。私はこの娘のために人生のすべてをかけています。ハラスがなければ、周囲の人々から愛され、辛いイジメに遭うこともなく、毎晩うなされることもなく、愛くるしい娘に育っていったでしょう。

私はいつまで娘が小学校に通えるのだろう、今日は元気に帰ってくるだろうかと、いつもそれを深刻に考えながら毎日すごしています。どの小学校にもシステムのチームが張り巡らされ、娘は特殊ターゲットとして扱われています。学年が上がるにつれてこの傾向は強まり、やがて登校できなくなるのではないかと考えざるを得ません。普通に恋愛し、結婚し、出産し、就職できるのだろうか、きわめて絶望的に考えています。このことを考えると、胸がしめつけられます。よく皆さんは「将来楽しみな娘さんですね」と言われますが、それを聞く度に絶望感に襲われます。

Q娘さんにどんな嫌がらせが加えられましたか?

オーストラリアで娘に水泳を習わせましたが、なぜか度々上級生たちからゴーグルを貸してくれと言われました。最下級生だった娘は申出を断れずゴーグルを貸していたが、ほどんどの場合返してもらえなかった。また、不自然な形でゴーグル6回紛失。プール教室の更衣室で着替えをしている時に3回、いずれも翌日プールサイドの目立つところにぽんとおいてあると言う明らかなハラスがあった。当初は気がつかなかったが強いシステム性を帯びた家族とビーチに行った時、3つのゴーグルが一度に紛失したが、娘がなくしたことにされた。自宅でなくなったことも一度あった。ホテルでなくなったこともある。

ポートランドの地元小学校の初日、友人が買ってくれた未使用のかばんを持っていったが、学校の校門でバッグを開くとゴーグルがそこにあった。そのバッグは数日前に友人からプレゼントされたもので、誰もゴーグルなど入れるはずもない。初日に今までの攻撃の材料がかばんの中に発見されて、娘はショックを受けた。ゴーグルがトラウマになったことを利用したハラスだった。

 

 

Chapter 4 この五年間の軌跡(2004年から2009年まで)

Q尾崎さんがこの五年間で失ったものは?

私は五年前、近大の教授、ベストセラー作家、最愛の妻、かわいい娘、多くの友達、幸せのほとんどを手に入れ、そのほとんどを失いました。長年夢見た教授職、ベストセラー作家としての地位、多くの友人、言葉では表せないさまざまな幸せを失いました。交通機関の移動も、レストランに行っても、ホテルを予約しても、不愉快な嫌がらせが続きますので、旅行したり色んな所に行く楽しみを奪われました。友人関係も人工的になりました。バラ色だった人生は隙間のない暗黒の人生になりました。

Qハラスからの逃げ場を求めて色々と移動したようですが、どちらへ?

ハラスが始まる前から住んでいた宝塚市を去り、2007年5月にオーストラリアのタウンズビルに親子三人で行きました。もっともその前にニュージーランドに行ったり、アメリカ中西部や北東部を周って場所を探しました。タウンズビルで半年暮らした後、新天地を求めオーストラリアを縦断し、結局東南部の島タスマニアに全校生徒35人という小さな小学校を見つけました。妻は大学院留学を続けることになり、2008年1月に私は娘の手をひいてタスマニアのボロボロの家に住み始めました。まるで西部劇の放浪者です。タスマニアに半年住んだ後、2008年5月にアメリカに渡り、アメリカのかなりの部分を二ヶ月かけて周った後、西海岸北部のオレゴン州ポートランドを見つけアパートに落ち着きました。そして、2009年2月にアメリカを去り、以前から田舎暮らしをするなら宮崎県と考えていたので宮崎県を訪ね、県庁で串間市を推薦され、串間に来て大変気に入って、永住を決意しました。

Q奥さんとの関係は?

2007年5月に家族三人でオーストラリアのタウンズビルに逃げ場を求めて移住しました。娘は現地の小学校に入学しましたが、ここでも惨いイジメに遭い、私は娘を連れてタスマニアに新天地を求めました。大学院留学の妻はタウンズビルに置いていきました。この年の秋に私たち一家には宿命転換が来ないとわかり、これは壮絶な絶望でした。その秋に妻は入試で明らかな不正を受け、二つのショックで人が変わったようになりました。悪魔に魂を売り渡したようになり、些細なことで荒れたりするようになりました。親しい友達ができて、私を夫と思うことが困難になったようです。私にとっては絶望の中でのさらなる絶望ですが、妻がそれまでに受けた拷問の惨さを知っているだけに妻を責める気になれませんでした。人は優しすぎるとか寛大すぎるとか言います。そういう方々は、妻が受けた拷問の凄まじさを想像できないのでしょう。生真面目で理想的な妻であり母であっただけに、私は妻を責めることができないのです。もう一つ記すと、私の幻想かもしれませんが、この時に妻にだけ宿命転換が訪れたように思います。私にとっては絶望の中の絶望の中のさらに暗黒の絶望です。翌年2008年5月に、私と娘はアメリカ、ポートランドに渡りました。五十歳を超えた父が8歳の娘の世話を一人で始めて一年半です。そして私は55歳にしてアメリカの法科大学院に入学しました。これこそ私のどんな妨害に遭っても火山のように吹き出るエネルギーの証拠です。二十代のアメリカ人の若者とともにアメリカの弁護士を目指して抗議を受けました。ここでこそ私は集中的な攻撃を浴びましたが、ものすごい負けん気で、大学に毎朝たどり着きました。しかし、妻がこの秋から連絡をくれなくなり、これによって打ちのめされた私は一つの単位も取れずじまいでこの法科大学院を去りました。単位がとれなかったので中退にもなりません。私にとっては最悪の思い出です。その後、複雑すぎる状況の中で私と妻は再び連絡を取り合うようになり、妻は日本に一時帰国し、娘と私の世話を二週間ほどするという変則的家族に戻りました。妻も私に負けない猛烈な向上心で悪条件の中、英語でコンピュータの大学院留学をしています。

Qこの五年間のあらすじをおしえてください。

2004年6月私は関西外国語大学短期大学部特任教授で、兵庫県宝塚市のマンションにて妻と娘と私の三人で幸せの絶頂でした。その頃、近畿大学の入試部長と教務部長から近畿大学(近大)へ語学改革委員長かつ正教授としてスカウトしたいという話が持ち上がり、打合わせを繰り返しました。まさにその時に異変が起こりました。尾行、嫌がらせ電話、ほのめかし、さまざまな形で嫌がらせが始まりました。この年(2004年)の10月に近大に着任し、改革委員長としての仕事に着手しました。嫌がらせはひどくなるばかりで通勤にも支障をきたしましたが、必死に仕事をこなしました。近大とも相談しました。翌年2005年1月には、近大総長のはからいで公明党参議院議員を24年務めた峰山氏、教務部長、入試部長、私の四人で会談しましたが埒があかず。様々な形で行われる連日の嫌がらせにより人生に絶望し、かわいい娘がいるにもかかわらず、夫婦二人揃ってほぼ同時期に自殺を考えました。死ぬくらいならと近大に辞表を提出し、二月にニュージーランドへ家族三人で行き、長年の友人である弁護士一家のところに身を寄せましたが、彼もメンバーであることを知り愕然としました。また、ニュージーランドも日本と同じ状況でした。三月に日本に帰り近大幹部と会うと、辞めずに一年間休職し、近大医学部精神科に月二回通いなさいと要請されました。そして四月から一人娘が幼稚園に入園。

2005年春から娘が幼稚園に入園。当初からひどいイジメに遭い、秋には頭を怪我をして退園しました。スポーツデーで妻が娘を抱いているとき、石を二回投げられたこともありました。その間私たち夫婦は「今日も怪我をするのではないのか」と毎日身も凍る思いでした。妻は頻脈や狭心症、甲状腺異常を訴え酷い状態でした。その頃娘が外を歩いているとき、「大人の人から怖い顔をされる」ことがありました。またその頃、「地面が狭くなるから早く逃げなきゃ」「トイレの壁が泣いている」「緑の光が見える」「世界中の人がお化けになっている」などと言い、発狂状態のようになり、自宅の廊下も怖がって歩けないほどでした。夜寝るのを怖がり、寝かせるのに1時間以上かかったりしました。私たちは毎日胸の張り裂ける思いでした。

元々非常に病弱な妻は心身の不調を訴え、近大病院、阪大病院、近くの病院に通いました。

娘が退園したので、私たち夫婦は万博公園、おもちゃの王国、フルーツパーク、服部緑地、バラ公園などに連日娘を連れて行き、娘を慰めました。娘は「幼稚園に行っていないというコンプレックス、幼稚園に行かず、友達もいないというコンプレックス」に陥りました。

2005年秋鳩の首がベランダに何者かによって置かれて羽が散乱していましたが、娘が見ると大変なことになります。

Qあらすじの続きは?

2005年11月、私たちは人生を根本的に変えました。強制入会です。

2006年1月4月からの復帰を前に近大に対し「娘のために週1回しかいけない」とお願いしたところ、元来正教授としてスカウトされたにもかかわらず「1年契約、特認教授、給料は半分、ボーナスは4分の1、週一回3コマ」になりました。正教授のノルマは5コマです。

2006年4月より、娘がインターナショナルスクールに通い始めましたが、夫婦交代で9時半から2時半まで、見学するという異常事態で、ヘトヘトになりました。スクールは4部屋ですが、スクールの玄関にいて、立ちっぱなし、見にくい部屋のときはイスの上に立つ、時にイスに座るというパターンで見学を年末まで続けました。秋頃からは、時折席をはずしたり、見学を半分にすることもありました。夏は玄関にクーラーが入らず参りました。この作業は大変疲れ、かつ屈辱的で私たち夫婦に大きなダメージがありました。

この間も、仲間はずれにされたり、ボールを顔に当てられたり、物が目に当たったり様々なことがあり、非常に頑張り屋で幼稚園への執着を持つ娘も行きたがらなくなりました。スクールから出て車に入るなり泣き崩れたり「私も我慢してるのよ」とわんわん泣いたりしました。なぜか仲間はずれにされるので、それがものすごく苦痛でした。「今日も、ともちゃん悪いこと一つもしなかった」「今日は年少の子が泣いていたから先生のところに連れて行ってあげた」というふうに、自分の行動を検査、私たちに報告し、自分に非がないことを健気に確認していました。休みの土日に公園に連れて行って気分転換させると、日曜の夜「これで明日からまたがんばる」と辛いスクールに行くことへの決意表明を子供ながらにしたりしていました。親としてはまさに胸の張り裂ける思いで、見守るしかありませんでした。

その度に、妻の体が悪くなりました。

一年間家族3人とも忍耐を重ねて、幼稚園に定着できるよう努力しましたが、ついに2007年2月16日、先生にブランコから落とされる事件が起き、退園しました。その前日にも、その先生から不可解な嫌がらせを受けました。

誰が流すのか、私たちが多少大げさに言っているように考える人がでてきます。大げさどころか娘の本当の辛さは私たちには表現できないくらい大きいものです。娘は複雑な人間不信に陥っています。それでも「こんなに元気な子が発狂状態になったのか」というような質問がよく出てくるのは不可解です。

2005年11月から12月には三人で豪雪のアメリカ中西部。2006年夏は三人でシカゴからニューイングランド地方に行きましたが、8月上旬母が倒れ私だけ帰国。妻と娘はそのままカンサスまで行きました。二人にとってどうしても療養の必要性があったからです。妻は有能な日本人商社マンのように右側通行の道をレンタカーでシカゴの大都会などを娘を連れて勇敢に走り回りました。これは本質的強さのいることです。

8月上旬に母が倒れてから父と母の看病を兄夫婦と私ですることになりました。当初私が週二日、途中から1日父の実家に泊まり当番しました。さらに見舞いにも連日のように行きました。幼稚園の見学と平行して、です。11月に父と母は相次いで逝去。あわただしい中両親の葬儀が行われました。夫婦ヘトヘトの状態でこれらのことを行いました。

2007年1月21日には再び鳩の首がベランダに置かれていました。

2つ目の幼稚園の教室図

2つ目の幼稚園の教室図

Q日本を捨ててオーストラリアに行ったのですね?

私は近大教授の職を捨て、2007年春、オーストラリアの中堅都市タウンズビルに移住決意。2007年5月14日、タウンズビル到着。ビザの取得が嫌がらせによって遅れたりして大変な苦労をした。5月14日から朝香通学。翌日ひどい目に遭ったようで、放課後朝香は口をきかなかった。9日目も同様。哲夫は必死に友人をつくり仕事継続を図る。妻はオーストラリアの大学語学学校にロースクール準備英語受講開始。哲夫は研究と出版の継続に集中するが、あまりの不可解な事件の継続に次第に意欲を失う。

救急車代として9万円近くを請求されたり、コンピュータなどが故障させられたり、嫌がらせが続く。朝香は不自然に友人ができ、その友人から徹底的に裏切られいじめられたりするなどむごいことが続発。哲夫と妻は繰り返しPTAや学校と話し合うも、結局12月に退園。これで、朝香6歳にして3回目の退園。朝香はとにかく勉強が好きで、ドイツ語や中国語も取得しようと試みるなど向上心抜群。また、学校や友達が大好きで、いくらひどいめにあっても頑張り続けたが、次第に意欲を失いつつある。4歳の時のアルファベットは10歳を思わせるような見事な書き方だが、6歳時にはやや後退した。

コンピュータ時代で紙の書籍の販売が激減していく中、既刊書籍の改訂、若干の新刊、貯金の取り崩しで、不可解かつ膨大な出費をまかなっていかなければならない将来の財政状況が鮮明となる。

12月にはレストランでウェイトレスにナイフをわざとそばに落とされるという事件が3回起こる。

以下のようなことが特に家族を苦しめる。

①通常人間は計画を立てて努力し実行し工夫し前進する。まったく突然不可解かつ人為的に現実が変化するので、計画や工夫をする本質的意欲がなくなっていく。

②人間関係やすべての環境が人為的かつ人工的であり、真の友情がきわめてはぐくみにくい。人間関係が常に皮をかぶったような人工的状況になる。これはとくに娘に深刻な打撃を与える。

③特殊ターゲットに対して、自然に接触する人、私たちの弱い状況を利用して利益を得ようと図る人、何となく有意な立場に立ったような気がして傲慢な態度をとる人(自信のない人やコンプレックスの強い人に多い)の3つにわかれる。常に不自然かつ不利な人間関係になる。

2007年11月3日両親の一周忌を済ませる。両親を悼む大事なセレモニーにもかかわらず、兄は卑劣極まる攻撃を家族に継続してきた。

Qオーストラリアのタウンズビルからタスマニアに行ったのですね?

2007年12月3度にわたって、3回飛行機を乗り継ぎ、タスマニアに行き、島中をめぐり、多くの学校を訪問し、ブロンクスホルムという人口数百人以下の村と、生徒数全部で35人という小学校を見つける。そこに入学手続きをし、居住する家を求める。この間ビザの継続手続きで不可解なことがおこり、大変困惑する。車をTownsvilleから数日かけて数千キロタスマニアまで移す。

哲夫も12月末から自殺を考えるようになり、しばしば夜中にうなされ、明け方は常に寝苦しくなり、吐き気をもよおす。哲夫も精も根も尽き果てる。

2008年5月に重大な事件がタスマニアで起こった。5月31日妻はタスマニアに来る予定だった。が、5月29日哲夫と朝香が学校の歩道を歩いていると、上級生が携帯をかざしながら「抱っこしてあげる」と言い、携帯を持ったまま朝香を抱っこするという最悪の事件発生。この事件の概要は次の通り。

5月30日、ホリデー前の学校が終わる2時58分、教室から哲夫が朝香を連れ出そうとすると、上級生二人が朝香の名前を叫びながら携帯を突きつける。哲夫は二人の上級生を校長室に連れて行き、ひと悶着。校長は警察を呼んだ。哲夫再々警察に自分を署に連れて行くよう依頼。連れて行かれた途端、警察の態度急変、後ろ手錠にされて病院に連れて行かれる。弁護士要求などすべて通らず、医者が哲夫の精神状態はOkと証明したので哲夫は朝香を連れ戻しに帰った。これは、妻が来る直前に原爆級の攻撃を二日続けたということ。ショックを受けた妻は31日に来なかった。6月2日に来た。

この部分からアメリカのポートランドで追加を書き加える。過去の日本やオーストラリアで起こったこと、アメリカでの状況を記す。まずオーストラリアを去るところからの行程を記す。

妻と私と娘の3人は、タスマニアのロンセストンのホテルでしばらく過ごし、今後のことを考え、車でフェリー乗り場のレーボンポートからメルボルンに渡り、シドニーに着いた。妻はそのまま車でタウンズビルに帰宅。娘と私は飛行機でアメリカ北西部のポートランドに到着し、エンバシーホテルに滞在。しばらく滞在後、アメリカでの落ち着き先を探すためボイジー、スーフォールズ、ララミー、シャイアン、ボールダー、デンバー、を各数日ずつ宿泊し、ポートランドに戻り、ポートランド近郊レイクオスウェーゴーが最適と考えた。私はルイスアンドクラークロースクールに通い、娘は地元のアメリカ小学校2年に編入。以上が行程である。

Qアメリカに行って法科大学院に入ったのですか?

エンバシーホテルに到着後、数日して買ったばかりの携帯が、ベッド脇の引き出しに大切に保管しておいたのに、ずぶぬれになっていて使えなくなっていた。マネージャーと交渉。マネージャーは実質的に意図的なものと認め、宿泊料金を安くした。ボイジー出発までダウンタウンで携帯などのハラスが多発した。ボイジーに出発するとき3つのバックとテニスラケットの4アイテムをエンバシーに預けておいた。ボイジーなど周遊後にこのホテルに戻る予定であったからである。周遊旅行から戻ってきた夕方、ラケットが紛失していた。フロントに交渉するとカメラにラケットが写っていないととぼけたが、翌朝になるとあっさりカメラに写っていたことを認め、賠償を申し出てきた。

2009年1月31日「妻滞在中のアメリカポートランドにある私のユニット」

オーストラリアにいる妻は2008年12月上旬から私と娘への連絡をほとんどしてこなかった。もし妻が適切な連絡をくれたら、私は12月末に日本に帰り重要な銀行の仕事を済ませ、最後のロースクール継続のための努力をなしえた。実際、歯を食いしばって最後の挑戦を決意していたが、連絡がなく一時は1月上旬に来ると言っていたので、それを待つまま時間がいたずらに過ぎた。妻に知らせずに私が日本に帰るとその間に妻がアメリカに来て大混乱になるという可能性があった。このようなことは常識ではあり得ないがシステムの状況下ではあり得ることであり、それが私を不安に陥れた。1月上旬の妻の到着を待っていた娘は非常に危険な精神状況になり下痢が続いた。パンツが前面茶色になりその場で2度、3度着替えても新たに色がつく次第であった。この4年半でも娘と私にとって厳しい期間であり、私はこの間妻との最終的別れを覚悟すべく心を整理した。

妻は1週間前に予告して法外な切符を買い(私が負担)、1月20日にアメリカに到着し2月1日まで3人でくらした。妻と私は話し合いを繰り返し、次の点を確認した。

①二人とも4年半の拷問により精神が壊れている。特に妻は母として娘への拷問を体験したことにより私以上に被害を受けジキルとハイドのように体調によって精神が別人のようになる状態に至った。

②私は13ヶ月娘を一人で育ててきたがとりわけ2008年9月のロースクール入学後極端な困難に直面した。当初卒業を考え次第にいくつかの単位を取得することに妥協したが結局たった一つの単位も取れず中退にすらならなかった。

この間の娘と私の心理的ダメージは計り知れない。

③今後、妻が私たちと週2回の電話連絡と2009年夏の私たちへの訪問をしない場合、家族としての関係をあきらめざるを得ない。なぜなら、母を待つ娘の蛇の生殺しのような状態は、痛みきった娘にもう耐えられないものだと判断できるからである。連絡については従来のようにシステムの執拗な妨害が予想されるので、周到なセーフティネットを二人で考案した。

④すでにオーストラリアを出発する2008年5月の段階で妻に500万と相当古い中古車をわたしてきた。いかなる理由であれ連絡が途絶えた場合、連絡や訪問にこだわることがどんなに娘と私の精神を破壊するかを繰り返し考慮し、家族3人が永久に離反することをあえて覚悟した。

⑤娘と私は2009年2月7日日本に向けて出発し、日本の田舎に永住することを決意。

さまざまな意味で現実との接点に執着する限りシステムはそこにリンチを浴びせてくる。自殺はできないが奥地でくらすことにより接点を極小化し打撃を最小化する。この際、一番辛い決断として娘が日本の小学校で再びリンチを受けた場合、その後の通学や進学を断念する決断をほぼ固めた。異常かつ最も辛い決断であるが、これを乗り越えない限り娘へのリンチという形でシステムの攻撃が継続することを予測するからである。娘の進学断念の覚悟こそ現時点での最も高度な決断と考えた。親子ともども外に出る度に携帯攻撃ほか、敵に囲まれ、気分転換の余興のようにリンチを浴びせられる。コンプレックスの裏返しとして私たちへのリンチを楽しむ人々がいる。こういう状態を親子が忍耐し続けることはひたすらマイナスであり、娘はもう耐え切れない状況だと痛恨の思いで決断した。

 

 

Chapter 5 尾崎哲夫について

Q自己紹介してください。

昭和28年、大阪府の豊中市に生まれました。父は尾崎弘(大阪大学教授)、母は大阪家庭裁判所調停委員、兄は尾崎幸洋(関西学院大学理工学部長)の学者一家に育ち、私も結局近畿大学教授になりました。システムの目的は、私を貶め、評判を悪くし、周囲の人がハラスをしたくなるようにする狙いがありますから、自慢話のようですが、私の家庭のバックグラウンドについて説明させてください。

母方の祖父は国分政次郎(三和銀行常務取締役)、叔父は平田豊(三和銀行専務取締役からユニチカ社長)、そのほか従兄弟や叔父に癌研教授(旧帝大教授クラス)や弁護士、医者など、恵まれた一族に生まれました。高校時代は小説化を目指しました。これが後に本を書く元になりました。早稲田大学法学部卒業後、短期間サラリーマンをした後に脱サラ。代々木ゼミナールなど予備校講師を経て大学講師になり、本を書き始めました。本は200冊出版しました。いくら本や論文を書いても大学院を出ていなかったために教授になれませんでした。大学非常勤講師の待遇は非常にわるく、年収100万円強程度で、それに印税収入を足して何とか生活していました。なお、印税収入というのは、本の定価の10パーセントを獲得できるのはとてもいい方で、専門書の場合はゼロの場合もあります。例えば体か500円の文庫本の場合、印税収入は一冊あたり多くて50円、少なくて2、30円です。45歳の時(1998年)、一念発起して大学院で修士号取得を決意し、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係に入学し、二年後に修士号を獲得しました。指導教授は二歳年下でした。本や論文は人の何倍もありましたから、大学院を出れば怖いものなし、翌年2001年に関西外国語大学短期大学部の特任教授になりました。2004年には近畿大学総長直々にスカウトの話があり、特任ではなく正教授として、そして語学改革委員長として、着任しました。ちょうどハラスが始まったのはこの頃です。

Qその後の軌跡をおしえてください。

19歳の時に早稲田大学に進学したため東京に移住。四年間の大学生活を経て、横浜に移住。24年程横浜にいました。その後関西に戻り芦屋、宝塚に住んでいましたが、宝塚に住んでいた時にハラスが始まったので、2007年オーストラリアに移住したわけです。オーストラリアのタウンズビルに半年、タスマニアに半年、アメリカのポートランドに一年弱住み、今は宮崎県宮崎市に定住しています。

Qたくさん本を書くコツはなんですか?

二十年程前から本を書き始めました。タイトルから内容まで湧き上がるアイデアを利用し、クリエイティブで分かりやすいと評判を得ました。一方で、鹿児島から北海道まで、書店営業を、馬車馬のごとく展開しました。「営業の神様」「営業の鬼」「尾崎が営業した後はぺんぺん草も生えない」と、出版社の営業から恐れられました。自分でどんどん自分で購入したり、大事な本が売れ残った場合100万前後のお金を払って出版社から買い取ったりもしました。

成功の原因としては、①営業 ②アイデア ③難しいことをわかりやすく書く能力 ④出版社との付き合い方があったと思います。

200冊近くになりましたが、改訂を数えると数百冊と言うこともできます。英語と法律(6法全てにまたがる)で、戦後のいくつもの出版記録を樹立。200冊ということは、1冊につき、数回の会議を出版社がしますので、落ちた企画も含めれば1000回を超える会議が私の本のためになされたことになります。読者は数十万を超えていますので、この国の書店で数十万回以上カウンターに運ばれ包装されたことになります。

Qどうして200冊も本が出版できたのですか?

高校時代から小説家希望で文芸部の部長もしていました。とにかく書くことが好きです。勉強も好きです。30歳くらいから急に勉強が大好きになりました。私は法律と英語の二本立てですから、両方の本を書こうと思いました。

①自分で言うのはよくないのですが、私はよくクリエイティブ(創造的)だと人から言われます。書店で本を見ていて色んなアイデアがもくもくと沸いてきます。散歩していてアイデアが爆発し走って家に帰って書き留めることもあります。

②自分が一番誇りにしていることは、全国の書店のべ数千軒(1軒の書店に何度も行くこともある)、営業して周りました。

③タイトルや表紙のデザインも自分で決めました。ここでも創造性がものを言い、「10時間で英語が話せる」「英語超基本を一日30分」「私の英単語帳を公開します」などのユニークなタイトルが読者の皆さんに歓迎されました。公開しますを出版後は、ある種の公開ブームが起こり、雑誌が発刊されたほどです。

④集中力と記憶力のよさは異常と言われ、自分で言うべきことではありませんが、天才と言われました。もっとも最近はこの五年間の拷問の結果、頭がとてもにぶくなりました。自分の頭とは思えないほどです。

⑤上記の三冊はベストセラーになりました。自ら印税を安くしたり、印税を放棄してその分を新聞広告代にしてもらったり、経済的成果を度外視した出版展開をしました。

Q尾崎さんのことを知るにはどうしたらいいですか?

以下が参考になると思います。

アマゾン(amazon.co.jp)にアクセスし、「尾崎哲夫」で検索した際の結果。

ウィキペディア(www://jc.wikipedia.org)にアクセスし、「尾崎哲夫」で検索。

メール                      ted.ozaki@gmail.com

ブログ                      tetsuoozaki.blogspot.com

Q出版活動で充実した記録とはどういうことですか?

出版した法律と英語の本は200冊。改訂版も数に入れるともっと多い。2009年6月現在、アマゾン(amazon.co.jp)にて「尾崎哲夫」を検索すると400冊程の本が出てきます。法律の本だけでも数十冊以上です。これは間違いなくこの国で一人の著者が書いた数としては日本一です。恐らく世界でも、一人の著者が書いた法律の本としては一番でしょう。また、三冊のベストセラーが出ました。「10時間で英語が話せる」(PHP文庫)、「英語超基本を一日30分」(角川ONEテーマ新書)、「私の英単語帳を公開します」(幻冬舎)の三冊です。また、一人で憲法、民法、刑法、商法、民訴、刑訴を書いたのも私だけです。また、「法律用語がわかる辞典」(自由国民社)はカシオの電子辞書に搭載されました。これは大変なことです。日本の最も権威ある法律用語辞典として認知され、一番売れているカシオの電子辞書に搭載されたのですから。

Q皆さんに一番読んでほしい本は何ですか?

「法律用語がわかる辞典」(自由国民社)、「大人のための英語勉強法」(PHP文庫)、「私の勉強法を公開します」(自由国民社)、「国際商取引法入門」(自由国民社)、「法律英語用語辞典」(自由国民社)です。

Q好きな映画は?

アカデミー賞をとったグレゴリー・ペック主演の「アラバマ物語」、反ナチ闘争を描いた「ジュリア」、男同士の友情と信頼がさわやかな「理想の結婚」、ここでも微妙な形でさわやかな男同士の友情が描かれているウディー・アレン監督・出演の「世界中がアイラブユー」。ウディ・アレンは恋敵でもあるその弁護士を「あんな男はめったにいない」と誉めます。

Q好きな俳優は?

女優ではバネッサ・レッドグレープ。男優ならヒュー・グラント、晩年のジャック・レモン。…実はいっぱい好きな俳優がいて書ききれません。

Q人生のモットーは?

生真面目に努力し、ウソのない誠実な生活をすることです。

 

 

Chapter 6 実例集

今までの章でも実例を入れてきましたが、この章ではさまざまなハラスの実例を列挙していきます。ですからこの章は追加していくことができる箇所です。

Q生協と不愉快な経験をしたとのことですが?

私は串間市大字市木に住んでいますが、スーパーまで車で30分近くかかるので、食料配達を生協に依頼しました。第一回の注文で卵2ケースで合計20個と確認したのに、卵20ケース、合計200個の卵を自宅に配達されました。その後も担当の黒木氏は「ミス」と見せかけ嫌がらせを繰り返しました。宮崎市本部にも連絡しましたが、ここでもまともな対応がなく、本部の桑山氏は「上司が配達を続けることは不可能だと言っている」とウソを言いました。私の面前で桑山氏が上司に電話で確認をとった際に上司と話したところ、上司は「配達を継続せよ」と桑山氏に命じました。桑山氏は平気でウソをついたことに対して謝罪もせず、居直りました。

Qトヨタカローラ串間との紛争は?

3月に車購入を決め、3月28日には代金を全額支払いました。その時、営業の谷口氏は「遅くとも4月10日に納車する」と明言しました。ところが、4月に入って「早くても4月20日過ぎになる」と通告してきました。強く抗議すると4月18日納車になりました。その間借りた代車はクラクションが鳴らない故障車でした。サービスの責任者は当初謝罪もしませんでした。

保険書類のプレートナンバーを二回も間違えたため、保険証書が届かず、この件は現在紛争中ですが、谷口氏が不誠実な態度に終始するので、私はトヨタ本社まで手紙を書かざるを得ません。なお、保険の説明は納車の前日になされ、トヨタが代理店をする保険会社に契約せざるを得ないようにずるく誘導されました。谷口氏はしょっちゅう遅刻したり、無礼な態度をとり続けています。尾崎に電話をかけてきて私が電話を取るとすぐに切るなどの、卑劣なことまでしています。

串間に憧れて移住して串間の地元ディーラーで車を購入し、すぐに現金で代金を完済しているにもかかわらず、このような行為を繰り返すのです。

Qアメリカ滞在中にどんなハラスをされましたか?

2008年12月26日、クレジットカードが使えなくなっていました。カード会社のPursuemaniaの回答は、何者かが不正使用してブロックされているとのこと。第三者がカードをデータで使ったためブロックしているが、再発行するしかないと言う。持っていた二枚のキャッシュカードがなくなった後にそのクレジットカードを失い、私は異国で非常に困りました。これで終わりと言う感じ。日本の住所に送ってもらって転送してもらっていては日々の生活に往生し始めたため間に合わない。財布に残った小銭で何とかしのぎ、何とか日本に帰ってきました。生きている心地がしませんでした。ハラスしている方は、されている側がどんなに辛いか全然わかっていない!

アパートでの奇怪で不自然なトラブルの数々。システムのハラスと無関係な自然な事故も少々含まれると思うが、いくつかは明らかにハラス。インターネット設置を9月上旬に依頼したが、10月28日までじらされた。普通は1週間のところ6週間以上かかった。この間、車もないのでタクシーなどでロースクールの図書館に行ったりした。ところが、翌々日にインターネットがダウンした。この時交渉してくれたバイトの白人学生Louiseが、故意にmess up(状況を複雑化)されていると明確に証言した。だからいろんな言い訳をしても6週間以上じらされたのも故意と判る。12月12日にダウン。この時、インターネット会社のJaneは「特定の地域だけダウン」と意味不明な説明。12月13日復旧。12月14日ダウン。この時は前日夜からの雪の為とのこと、15日に復旧して、同日またダウン。17日に復旧。インターネット会社に連絡しても通じなかった。ほとんどがハラスと考えられる。冷蔵庫2回ダウン、水タンクダウン、引き戸2回ダウン、ヒーターダウン。ヒーターはとても困った。この中で引戸は自然なものでハラスではなく、冷蔵庫も自然かも…。後は不自然なのでハラスと考える。

Qお兄さんとの遺産問題の様子をおしえてください。

2007年11月3日両親の一周忌がありました。この直後、兄と相続の交渉を再開しましたが、不可能な条件を押し付けてきて交渉は挫折しました。この間も、父の勲章の分配は白紙状態と確認したにもかかわらず相手側弁護士が「勲章の分配は終了済み」と通告するなど、システムという背景もあり卑劣な交渉でした。しかしながら、お恥ずかしい話ですが、背景があると言いつつもやはりこのような不幸を導いたのは、すべて兄の財産隠匿行為が原因であるということは否めないでしょう。

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